2014年7月21日月曜日

神社仏閣(20):勝栗神社(湧水町)

湧水町栗野にある勝栗神社を訪ねました。


正八幡宮(鹿児島神宮)は神領の四方に正若宮を建立し、北を栗野八幡とし正八幡宮の境界としました。



八幡の祭神は神武天皇が御東征の時、海路の神として祖父彦火々出見命を祀られたことにはじまり、やがて神武天皇から仲哀、応神天皇、神功皇后に置きかえられて八幡と呼ぶに至りました。その関係で本殿正面には菊の御紋が社閣の高さを誇っています。


鳥居脇にある仁王像です。
ここ正若宮の境内にあった梅中寺の守護として寛文5年(1665)に建てられました。廃仏毀釈で損傷を受け、別の一体は川内川にすてられたといわれます。
残っている像は吽形です。


勝栗神社と呼ばれたのは明治以後の事です。島津義弘公が文禄の朝鮮出陣のおり、「野も山も みな白旗と なりにけり 今宵の宿は 勝栗の里」と詠んだ故事に由来しています。
境内にはその歌碑が建立されています。

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