2025年3月14日金曜日

城散歩(2)犬山城

 

犬山城は木曽川の南岸の犬山にあります。江戸時代までに作られた現存12天守の一つです。また天守が国宝に指定されている5城の一つです。別名白帝城といいます。前身となる岩倉織田氏の砦を信長の叔父織田信康が改修して築いた城であり、豊臣政権下に石川定清が改修して現在のような形となる。江戸時代には付け家老の成瀬氏が居城している。


国宝「犬山城」から南に伸びる城下町です。犬山は戦火にあっておらず、そのため城も城下町も、総構えと呼ばれる城郭構造の町割りがそのまま残り、風情があり、規模も手ごろなので、のんびりそぞろ歩きするにはぴったりです。通り沿いには古い町屋が多くみられます。そんな町屋を利用したカフェ、おしゃれな小物や伝統工芸品のお店もあるのでお茶を飲むのも買い物をするのも楽しくなります。特に犬山城下町は、散策しながらおいしいものを食べてほしいと、串物グルメが有名です。城下町名物の、手作り五平餅、お団子などを片手にタイムスリップ気分を味わいましょう。春には豪華できらびやかな13輌の車山(やま)が、城下町を練り歩く針綱神社(はりつなじんじゃ)の祭礼「犬山祭」があります。


2025年1月3日金曜日

城散歩(1):岡崎城

 岡崎城:ご存じ徳川家康の生まれた城です。別名:龍城



戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城であった。江戸時代は岡崎藩の藩庁であった。1959年に店主が復興された。

徳川家康公の銅像

東照公産湯の井戸:1542年家康公が生まれたときに産湯が汲まれたとされる井戸。




神社仏閣(22):菅生神社


 明けましておめでとうございます。

今年は初詣に行ってきました。岡崎市の菅生神社です。岡崎城の見学の途中にであいました。

第12代景行天皇の御代日本武尊東征の時、この地にて矢を作り、神風にて一矢を吹き流しその矢をもって伊勢大神を奉祀されました。この時創建された岡崎最古の神社です。

2014年7月22日火曜日

神社仏閣(21):新田神社(薩摩川内市)

159川-内川にかかる開戸橋を渡ると前方に亀の形をした小高い丘が現れる。
この神亀山に新田神社がある。


当然ながら長い階段です。でも途中までバスで上がってもらいました。


創建の時期は神亀2年(725年)、元慶4年(880年)などの諸説があります。蒙古襲来後薩摩一之宮として古くから南九州の人々に信仰されてきました。
山頂にある社殿は文禄、慶長の役で朝鮮から帰った島津義弘・家久が慶長年間(1596~1615)に造営寄進したものです。


可愛山陵(えのさんりょう)が神社裏手にあります。神代三山陵の一つです。

2014年7月21日月曜日

神社仏閣(20):勝栗神社(湧水町)

湧水町栗野にある勝栗神社を訪ねました。


正八幡宮(鹿児島神宮)は神領の四方に正若宮を建立し、北を栗野八幡とし正八幡宮の境界としました。



八幡の祭神は神武天皇が御東征の時、海路の神として祖父彦火々出見命を祀られたことにはじまり、やがて神武天皇から仲哀、応神天皇、神功皇后に置きかえられて八幡と呼ぶに至りました。その関係で本殿正面には菊の御紋が社閣の高さを誇っています。


鳥居脇にある仁王像です。
ここ正若宮の境内にあった梅中寺の守護として寛文5年(1665)に建てられました。廃仏毀釈で損傷を受け、別の一体は川内川にすてられたといわれます。
残っている像は吽形です。


勝栗神社と呼ばれたのは明治以後の事です。島津義弘公が文禄の朝鮮出陣のおり、「野も山も みな白旗と なりにけり 今宵の宿は 勝栗の里」と詠んだ故事に由来しています。
境内にはその歌碑が建立されています。

自然(2):丸池湧水


日本名水百選の一つである霧島山麓丸池湧水に行ってきました。鹿児島中央駅から特急はやとの風にのって日豊本線、肥薩線をのりついで栗野駅まで約1時間半の列車の旅です。


栗野駅の東側にあります。丸池の清水は霧島山の湧水群のひとつで今日まで枯渇することなく、古くから地元住民の生活用水、農業用水として利用されています。


1日約6万tも湧き出る湧水は昭和38年町水道の源となり全町民の水を賄っています。
コバルトブルーに見えるのは湧水の場所です。


訪れた人々にも水がふるまわれています。炎天下の中冷たい水が喉の渇きをいやしてくれました。
ほとんどの方はペットボトル持参です。


2014年3月25日火曜日

神社仏閣(19):足神神社(三重県伊勢市)

3月22日三重県鳥羽で高校の時の同窓会があったので伊勢に寄ってきました。伊勢神宮に参拝しようと思ったのですが、寒くて時間もなく内宮の前にある足神神社にお参りしました。


「神宮典略」によると、本社は「皇大神宮末社」葦立弓一社に擬し、一説には宝暦年間磯部街道笹原茶屋の亭主が、老狐が足を傷して治療に手を尽くしたが、その効なく悶死したが亭主は、之を厚く葬り山神に祖霊と祀り崇敬した。



葦の疲労平癒を祈れば必ず加護ありと遠来より祈るものが多くなり草鞋を献ずる慣例があった。
多くの陸上選手や足の悪い人たちが健康・健脚を祈って訪れています。


同窓生の案内で訪れました。私の足が悪いことを知っていたため案内してくれました。
撫石を触り、足の状態が少しでも良くなるように祈りました。