2014年7月22日火曜日

神社仏閣(21):新田神社(薩摩川内市)

159川-内川にかかる開戸橋を渡ると前方に亀の形をした小高い丘が現れる。
この神亀山に新田神社がある。


当然ながら長い階段です。でも途中までバスで上がってもらいました。


創建の時期は神亀2年(725年)、元慶4年(880年)などの諸説があります。蒙古襲来後薩摩一之宮として古くから南九州の人々に信仰されてきました。
山頂にある社殿は文禄、慶長の役で朝鮮から帰った島津義弘・家久が慶長年間(1596~1615)に造営寄進したものです。


可愛山陵(えのさんりょう)が神社裏手にあります。神代三山陵の一つです。

2014年7月21日月曜日

神社仏閣(20):勝栗神社(湧水町)

湧水町栗野にある勝栗神社を訪ねました。


正八幡宮(鹿児島神宮)は神領の四方に正若宮を建立し、北を栗野八幡とし正八幡宮の境界としました。



八幡の祭神は神武天皇が御東征の時、海路の神として祖父彦火々出見命を祀られたことにはじまり、やがて神武天皇から仲哀、応神天皇、神功皇后に置きかえられて八幡と呼ぶに至りました。その関係で本殿正面には菊の御紋が社閣の高さを誇っています。


鳥居脇にある仁王像です。
ここ正若宮の境内にあった梅中寺の守護として寛文5年(1665)に建てられました。廃仏毀釈で損傷を受け、別の一体は川内川にすてられたといわれます。
残っている像は吽形です。


勝栗神社と呼ばれたのは明治以後の事です。島津義弘公が文禄の朝鮮出陣のおり、「野も山も みな白旗と なりにけり 今宵の宿は 勝栗の里」と詠んだ故事に由来しています。
境内にはその歌碑が建立されています。

自然(2):丸池湧水


日本名水百選の一つである霧島山麓丸池湧水に行ってきました。鹿児島中央駅から特急はやとの風にのって日豊本線、肥薩線をのりついで栗野駅まで約1時間半の列車の旅です。


栗野駅の東側にあります。丸池の清水は霧島山の湧水群のひとつで今日まで枯渇することなく、古くから地元住民の生活用水、農業用水として利用されています。


1日約6万tも湧き出る湧水は昭和38年町水道の源となり全町民の水を賄っています。
コバルトブルーに見えるのは湧水の場所です。


訪れた人々にも水がふるまわれています。炎天下の中冷たい水が喉の渇きをいやしてくれました。
ほとんどの方はペットボトル持参です。


2014年3月25日火曜日

神社仏閣(19):足神神社(三重県伊勢市)

3月22日三重県鳥羽で高校の時の同窓会があったので伊勢に寄ってきました。伊勢神宮に参拝しようと思ったのですが、寒くて時間もなく内宮の前にある足神神社にお参りしました。


「神宮典略」によると、本社は「皇大神宮末社」葦立弓一社に擬し、一説には宝暦年間磯部街道笹原茶屋の亭主が、老狐が足を傷して治療に手を尽くしたが、その効なく悶死したが亭主は、之を厚く葬り山神に祖霊と祀り崇敬した。



葦の疲労平癒を祈れば必ず加護ありと遠来より祈るものが多くなり草鞋を献ずる慣例があった。
多くの陸上選手や足の悪い人たちが健康・健脚を祈って訪れています。


同窓生の案内で訪れました。私の足が悪いことを知っていたため案内してくれました。
撫石を触り、足の状態が少しでも良くなるように祈りました。



2013年11月12日火曜日

神社仏閣(18):若尊鼻・若尊神社(霧島市)

次の目的地は国分地区と福山地区の境にある若尊鼻(わかみこのはな)先端の洞窟にある若尊神社です


生憎の雨模様です。海も荒れています。岬の入り口から1kmの行程です。海岸線に沿って、幅1m弱の遊歩道を行きました。


若尊神社の鳥居です。やっとたどり着きましたが、洞窟まではさらに急な坂を上る必要があり、私はここで参拝しました。
「三国名勝図会」には「若尊大明神(中略)祭神詳ならず。木像二体」としていますが、「神社伝記」によると祭神は神武天皇と日本武尊と記してあります。


若尊鼻の伝説:

①神武天皇が福山の宮浦神社から船出して、この岬に立ち寄り、鹿児島神宮石体神社のまえにあった高千穂宮に行かれたというもので、天皇の御名(若御毛沼尊ーわけみけぬのみこと)からとって、「若尊鼻」と名付けられた。

②日本武尊が国分の熊襲征伐に下向されたとき、ここに上陸し、屋根伝いに敵情を探った。その時木の根を敷いて休んだというので「敷根」という地名になった。
景行天皇の第二若皇子であったので、「若尊鼻」と名付けられた。

神社仏閣(17):枝宮神社・小鳥神社(霧島市)

和銅6(西暦713)年4月3日(新暦5月5日)に建国された大隅国は、霧島市国分府中に国府が設置されたと推定されています。本年は大隅国建国から1300年に当たることから、霧島市では史跡めぐりなどの事業を計画しています。

11月10日雨の中第5回史跡めぐりに参加しました。これは霧島市で開業されている鶴丸先生のお誘いです。京都は1200年の歴史と言っていますが、ここ霧島ではさらに古い歴史があるようです。

行程
枝宮神社・・・・小鳥神社・・・・若尊鼻・・・・宮浦宮・・・・旧田中家別邸・・・・拍子橋伝説の地

3時間のバスツアーでしたが、朝の大雨の昼には上がりました。

枝宮神社:野口の鎮守神で、祭神は四座、一座は大人弥五郎、三座は不詳です。大人弥五郎(別名川上タケル)の肢体を葬った処と伝えられています。日本武尊が拍子橋で討った大隅隼人の四肢をここに埋めたといわれています。


小鳥神社:松木の鎮守神で、鎮守神社、枝宮神社と同様にクマソタケルの四肢の一つを埋めたという熊襲伝承が残っています。


小鳥神社の田のかんさあ:国分地区内では最も古い田の神像です。両体ともに首から上がありません。右には元文4年(1739)の銘が刻まれています。

2013年10月14日月曜日

大分県(1):別府地獄めぐり

大分県別府の地獄めぐりに行ってきました。
ここ鉄輪・亀川の地獄地帯は、千年以上前も昔より噴気・熱泥・熱湯などが噴出していたことが「豊後風土記」に記せられ、近寄ることもできない忌み嫌われた土地であったといわれています。そのことから、「地獄」と称せられるようになりました。今も鉄輪では、温泉噴出口を地獄と呼んでいます。


海地獄:神秘的で涼しげなコバルトブルーの池で、海のように見えます。


鬼石坊主地獄:灰色の熱泥が大小の球状をなして沸騰する様が坊主頭に似ており、鬼石という地名に由来しています。



山地獄:山のいたるところから噴気が上がっているため


かまど地獄:昔、氏神竈門八幡宮の大祭に地獄の噴気で御供え飯を炊いた習わしがあったことから名づけられた


鬼山地獄:鬼山という地名に由来する。温泉熱を利用したワニの飼育がおこなわれている


白池地獄:噴出時は無色透明ですが、池に落ち温度と圧力の低下とともに青白色を呈します


血の池地獄:煮えたぎる粘土は、噴気までも赤色。「赤湯泉」と記載された日本最古の天然地獄です。


龍巻地獄:別府市指定天然記念物の「間欠泉」。一定の間隔で熱湯と噴気を噴出します。30~40分間隔で吹き上げています。この日は10分ほど待って出合いました。