2013年8月25日日曜日
2013年8月21日水曜日
2013年8月17日土曜日
文化(1):五木の子守唄
その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たちは幼いころから家を助けるために子守奉公に出されました。娘たちは方向の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になったのです。
五木の子守唄の歌碑です。
子守唄はどれが1番で、どれが2番というものではありません。また、どれが元唄なのかもわかりません。専門家によると多分即興的に歌われたものだといわれています。
村中央部には子守唄に因んだ銅像が数多く建っています。
古民家が保存されています。五木の子守唄の伝承館です。子守唄がながれています。
2013年8月16日金曜日
歴史散歩(39):天文館跡の碑
島津25代重豪が、天文観測や研究のため、1779年にここに明時館を建て、藩内の暦はすべてこの明時館から配布し、薩摩暦とか鹿児島暦といわれました。明時館は別名天文館とも呼ばれ、現在の繁華街天文館の名は、ここから由来しています。
この付近は当時、石垣をめぐらした武家屋敷や、迎賓館にあたる御着屋、花岡屋敷などがありました。
島津重豪の像です。
2013年8月14日水曜日
歴史散歩(38):示現流兵法所資料館
示現流は、「一太刀の打ち」といわれる。一太刀の激しい攻撃がそのまま防御を兼ね、機先を制す。何事を行うにも生死一如の真剣な境地を養うべく、古来生死の境の中で真剣に行じてきた人たちの「業の集積」「心の集積」として伝承されてきた型を稽古することにより、強靭な肉体と精神の鍛練に努めるのを目標としています。
示現流兵法は、東郷藤兵衛肥前守重位を流祖とする薩摩独特の兵法でこんにちにおいても、鹿児島県の精神文化に強い影響を与えている。
流祖重位は、始め藩内で行われていた待捨流を学び、20数歳でその極意に達しました。その後、
天正15年(1587)上洛した際、天真正自顕流の奥義を極めた京都天寧寺の善吉和尚と会い、強いて教えを乞い、修行すること半年余、奥義の相伝を受けた。天正17年薩摩に帰った重位は、屋敷内全部の木を打ち枯らすほど心技を練ること3年、待捨流と天真正自顕流の精髄を総合して編み出したのが「示現流兵法」です。
示現流兵法所は東郷重位の屋敷跡に建てられています。
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