その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たちは幼いころから家を助けるために子守奉公に出されました。娘たちは方向の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になったのです。
五木の子守唄の歌碑です。
子守唄はどれが1番で、どれが2番というものではありません。また、どれが元唄なのかもわかりません。専門家によると多分即興的に歌われたものだといわれています。
村中央部には子守唄に因んだ銅像が数多く建っています。
古民家が保存されています。五木の子守唄の伝承館です。子守唄がながれています。
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