2013年11月12日火曜日

神社仏閣(18):若尊鼻・若尊神社(霧島市)

次の目的地は国分地区と福山地区の境にある若尊鼻(わかみこのはな)先端の洞窟にある若尊神社です


生憎の雨模様です。海も荒れています。岬の入り口から1kmの行程です。海岸線に沿って、幅1m弱の遊歩道を行きました。


若尊神社の鳥居です。やっとたどり着きましたが、洞窟まではさらに急な坂を上る必要があり、私はここで参拝しました。
「三国名勝図会」には「若尊大明神(中略)祭神詳ならず。木像二体」としていますが、「神社伝記」によると祭神は神武天皇と日本武尊と記してあります。


若尊鼻の伝説:

①神武天皇が福山の宮浦神社から船出して、この岬に立ち寄り、鹿児島神宮石体神社のまえにあった高千穂宮に行かれたというもので、天皇の御名(若御毛沼尊ーわけみけぬのみこと)からとって、「若尊鼻」と名付けられた。

②日本武尊が国分の熊襲征伐に下向されたとき、ここに上陸し、屋根伝いに敵情を探った。その時木の根を敷いて休んだというので「敷根」という地名になった。
景行天皇の第二若皇子であったので、「若尊鼻」と名付けられた。

神社仏閣(17):枝宮神社・小鳥神社(霧島市)

和銅6(西暦713)年4月3日(新暦5月5日)に建国された大隅国は、霧島市国分府中に国府が設置されたと推定されています。本年は大隅国建国から1300年に当たることから、霧島市では史跡めぐりなどの事業を計画しています。

11月10日雨の中第5回史跡めぐりに参加しました。これは霧島市で開業されている鶴丸先生のお誘いです。京都は1200年の歴史と言っていますが、ここ霧島ではさらに古い歴史があるようです。

行程
枝宮神社・・・・小鳥神社・・・・若尊鼻・・・・宮浦宮・・・・旧田中家別邸・・・・拍子橋伝説の地

3時間のバスツアーでしたが、朝の大雨の昼には上がりました。

枝宮神社:野口の鎮守神で、祭神は四座、一座は大人弥五郎、三座は不詳です。大人弥五郎(別名川上タケル)の肢体を葬った処と伝えられています。日本武尊が拍子橋で討った大隅隼人の四肢をここに埋めたといわれています。


小鳥神社:松木の鎮守神で、鎮守神社、枝宮神社と同様にクマソタケルの四肢の一つを埋めたという熊襲伝承が残っています。


小鳥神社の田のかんさあ:国分地区内では最も古い田の神像です。両体ともに首から上がありません。右には元文4年(1739)の銘が刻まれています。

2013年10月14日月曜日

大分県(1):別府地獄めぐり

大分県別府の地獄めぐりに行ってきました。
ここ鉄輪・亀川の地獄地帯は、千年以上前も昔より噴気・熱泥・熱湯などが噴出していたことが「豊後風土記」に記せられ、近寄ることもできない忌み嫌われた土地であったといわれています。そのことから、「地獄」と称せられるようになりました。今も鉄輪では、温泉噴出口を地獄と呼んでいます。


海地獄:神秘的で涼しげなコバルトブルーの池で、海のように見えます。


鬼石坊主地獄:灰色の熱泥が大小の球状をなして沸騰する様が坊主頭に似ており、鬼石という地名に由来しています。



山地獄:山のいたるところから噴気が上がっているため


かまど地獄:昔、氏神竈門八幡宮の大祭に地獄の噴気で御供え飯を炊いた習わしがあったことから名づけられた


鬼山地獄:鬼山という地名に由来する。温泉熱を利用したワニの飼育がおこなわれている


白池地獄:噴出時は無色透明ですが、池に落ち温度と圧力の低下とともに青白色を呈します


血の池地獄:煮えたぎる粘土は、噴気までも赤色。「赤湯泉」と記載された日本最古の天然地獄です。


龍巻地獄:別府市指定天然記念物の「間欠泉」。一定の間隔で熱湯と噴気を噴出します。30~40分間隔で吹き上げています。この日は10分ほど待って出合いました。


2013年9月17日火曜日

歴史散歩(41):七高生久遠の碑


第七高等学校造士館は明治34年(1901)、鶴丸城址の地に開校しました。昭和25年、戦後の学制改革によってその50年にわたる歴史の幕を閉じました。卒業生は9279名を数えます。


 

学生が常に歌っていた寮歌「北辰斜に」と「楠の葉末」の歌碑です


2013年8月25日日曜日

歴史散歩(40):鶴丸城跡地


鶴丸城跡地に来ました。現在は歴史資料館である黎明館が建っています。


このお城は平城です。背後は城山があり、お堀は大手門周辺のみです。


お堀にはハスが植えられており暑い中まだ目を楽しませてくれました、

2013年8月21日水曜日

草花[9]:夏の花part2

猛暑の中歩いていて結構きれいな花に出合います。公園や花壇には色とりどりの花が楽しめます


ハイビスカスです





バーベラ・テネラです。


ペチニア・サルサです。


2013年8月17日土曜日

文化(1):五木の子守唄

その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たちは幼いころから家を助けるために子守奉公に出されました。娘たちは方向の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になったのです。


五木の子守唄の歌碑です。

子守唄はどれが1番で、どれが2番というものではありません。また、どれが元唄なのかもわかりません。専門家によると多分即興的に歌われたものだといわれています。



村中央部には子守唄に因んだ銅像が数多く建っています。



古民家が保存されています。五木の子守唄の伝承館です。子守唄がながれています。

2013年8月16日金曜日

歴史散歩(39):天文館跡の碑


島津25代重豪が、天文観測や研究のため、1779年にここに明時館を建て、藩内の暦はすべてこの明時館から配布し、薩摩暦とか鹿児島暦といわれました。明時館は別名天文館とも呼ばれ、現在の繁華街天文館の名は、ここから由来しています。


この付近は当時、石垣をめぐらした武家屋敷や、迎賓館にあたる御着屋、花岡屋敷などがありました。


島津重豪の像です。

2013年8月14日水曜日

歴史散歩(38):示現流兵法所資料館

 示現流は、「一太刀の打ち」といわれる。一太刀の激しい攻撃がそのまま防御を兼ね、機先を制す。何事を行うにも生死一如の真剣な境地を養うべく、古来生死の境の中で真剣に行じてきた人たちの「業の集積」「心の集積」として伝承されてきた型を稽古することにより、強靭な肉体と精神の鍛練に努めるのを目標としています。



示現流兵法は、東郷藤兵衛肥前守重位を流祖とする薩摩独特の兵法でこんにちにおいても、鹿児島県の精神文化に強い影響を与えている。

流祖重位は、始め藩内で行われていた待捨流を学び、20数歳でその極意に達しました。その後、
天正15年(1587)上洛した際、天真正自顕流の奥義を極めた京都天寧寺の善吉和尚と会い、強いて教えを乞い、修行すること半年余、奥義の相伝を受けた。天正17年薩摩に帰った重位は、屋敷内全部の木を打ち枯らすほど心技を練ること3年、待捨流と天真正自顕流の精髄を総合して編み出したのが「示現流兵法」です。



示現流兵法所は東郷重位の屋敷跡に建てられています。

2013年7月30日火曜日

草花(8):夏の草花

この暑い季節草花は限られています。


「花と蝶」です。アゲハチョウがいい感じです。


夏の代表的な花の「百日紅」です。


野生のねむの木の花です。

2013年7月21日日曜日

自然(1):五木村・大滝自然森林公園

久しぶりの散策です。今日はバスツアーに参加しました。鹿児島から九州自動車を通り、人吉ICまでいき、そこから一般道で五木村まで約2時間半の行程でした。

五木村は川辺川ダム計画で水没する予定でしたが、計画が中止になり自然を売り物の林業・観光の村です。ダムは中止になりましたが、村は新しく作られています。すべての家が新築です。


今日の目的地は大滝自然森林公園のトレッキングです。川辺川の上流に沿って大滝まで歩きました。


途中の川の石は苔がみられ、まるで昨年訪れた、屋久島の白谷雲水峡を思わせる雰囲気がありました。


大滝です。
落差35mです。滝つぼの近くによると、ミストが降り注ぎここまで登ってきたご褒美のようです。


マイナスイオンやフィンドチンを浴びながら地元食材のお弁当をたべました。


2013年5月28日火曜日

歴史散歩(37):伊勢殿屋敷跡


薩摩藩に仕えた千石取りの幹部役伊勢氏の居処跡地です。
付近の千石屋敷の名残を偲び、この地を千石町と名付けました。

明治維新後は洋服店を開業した大和屋新兵衛がこの地を買い取り大和屋の私有地となりました。その後、花柳界の人々に買われ、鹿児島の大歓楽街に代わりました。

2013年5月26日日曜日

神社仏閣(15):千石天神


鹿児島市の中心部天文館の天神馬場通りの名称の起源であり、島津藩政時代からこの通りにあって正徳3年の大火により焼失した萩原天神を昭和12年当時の東千石町町民の総意によって復興することが決議され、翌昭和13年現在地に完成しました。
神霊は京都北野天満宮より分霊をいただきお祀りしています。

歴史散歩(36):涙石


西本願寺鹿児島別院の境内にある「涙石」です。

旧薩摩藩時代、島津氏の領内では浄土真宗の教えは厳しく禁じられていて、信者の疑いがあるものは捕えられて自白を強制されました。この石はそのために用いられたもので、役人たちは信者にこの石を抱かせて自白を迫ったと伝えられています。それで、信者たちの苦しみの涙がそそがれた石という意味で涙石と呼ばれています。

なみだ石 涙にぬれて もだしけり まことの命 ためさるるとき  「梅原真隆」

2013年5月18日土曜日

歴史散歩(35):貴様と俺の碑

鴨池公民館脇にある貴様と俺の碑です。


昭和18年4月、鹿児島海軍航空隊がここに生まれ数多くの荒鷲がこの鴨池に巣立ち祖国防衛戦に散りました。戦後20年、隊友が我が国の危難に殉じた戦友の鎮魂を祈りこの碑を建立した。
(鹿児島海軍航空隊慰霊顕彰会)

1.正面上段のブロンズ像は若い搭乗員が昇天しているところを表しています。
2.2体の石柱は天に向かって永遠の平和を祈る合掌を表しています。
3.2体の石柱を結び合わせてあるのは貴様と俺を表しています。
4.右柱の七つの穴は予科練の七つ釦を表しています。



2013年5月17日金曜日

草花(7):バラ園(錦江湾公園)

錦江湾公園のバラ園に行ってきました。150種類のバラが咲きほこっていました。


「うらら」京成バラ園作です。


「ピエール・ドゥ・ロンサール」1989年フランスで作られました。


「スカーレット メディランド」フランス・メイアン作です。


珍しい紫のバラです。「カーディナル・ド・リシュリュー」です。1840年に作られました。


「プリンセス・ドゥ・モナコ」です。モナコ公国王妃となった、女優のグレースケリーに捧げられたバラです。1981年作。


「プリンセス・ミチコ」英国から皇后陛下に捧げられた名花です。
1966年イギリス作。