2013年5月4日土曜日

医学歴史散歩(3):医学院跡


薩摩藩主25代島津重豪は、開化的な政策を掲げて人材育成に力を注ぎ、藩校造士館・演武館に続いて、安永3年(1774)医学院を創設しました。

医学院は、江戸の医学館に準じた学規八略を定め、医書の講習・討論などにより医師の養成と薬草研究などによる医療の進歩を目指しました。希望する城下士・地方に住む郷士や足軽・町人も入学を許可され、七人前後の講師のもとで数十人から百人ほどの医生が学びました。

Site of Medical Institute

Shimadzu Shigehide, 25th lord of Satsuma, was a gret advocate for civilizing adn educating peaple. Following examples set by the clan schools of Zoshikan and Embukan, Shigehide established a Medical Institute to the southwest of these buildings in 1774.


古い石碑です。

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