早くから開国論を唱え、西郷・大久保を指導して幕政改革をめざした島津家第28代藩主斉彬は1858年7月15日、炎天下での閲兵が災いしてその後にわかに発病、あっけなく49歳の生涯を閉じました。斉彬の開花事業は当時鹿児島を訪れたオランダ人技術将校が一目見て驚嘆するほどの水準にあったことが記録されています。死後朝廷は、その数々の功績を讃え、照国大明神の神号を贈りました。
そこで元治元年(1864)鶴丸城西側の南泉院跡に一社を造営、照国神社が創建されました。
境内入り口にみごとなイヌマキがあります。「鶴斉」と呼ばれています。
昭和37年に中塚製菓から寄進されたもので、名前は公募で命名されています。
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