桜島桟橋電停の右側歩道に小さな赤倉の跡碑があります。
明治元年(1868)、薩摩藩では漢方医学に西洋医学を取り入れた医学校を浄光明寺跡(現在の南洲公園)につくり、翌年、西郷や大久保の推薦でイギリス公使館付医師として日本にやってきていた、英国人医師ウィリアム・ウィルスが招かれ、校長兼病院長となりました。
その後、医学校は小川町へ、病院は滑川沿いの赤レンガ造りの洋館にうつりましたが、この病院は窓が小さく、倉庫のように見えたので、赤倉病院と呼ばれました。
ウィルスは多くの医学生を育て、鹿児島の近代医学の先覚者となりました。
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