島津斉彬公(1809~1858)
島津斉彬公は薩摩藩主第27代島津斉興の嫡男として生まれました。母は鳥取藩主池田治道の娘賢章院です。
海外の文化に強い関心を示された曽祖父島津重豪に可愛がられていたため、斉彬公も海外の情報・文化に精通されるようになりました。
アヘン戦争で清国がイギリスに敗れたことから、西欧諸国の植民地化政策を恐れ、日本が一つにまとまり、強く豊かな国造りを目指すべきだと考えられました。そして、嘉永4年(1851)藩主になると、鹿児島の磯に「集成館」という工場群を築き、ここを中心に、造船・製鉄・紡績・電信・硝子など様々な事業に取り組みました。
また、人材育成のため教育にも力を注がれ、西郷隆盛や大久保利通など有能な人材を育てました。斉彬公は安政5年、世を去られましたが、日本を強く豊かな国に生まれ変わらせるという夢は、弟の島津久光公やその長男忠義公、さらには西郷隆盛や大久保利通ら多くの家臣の手で実現されました。
照国神社の御祭神として神社境内に鎮座しています。
この銅像は朝倉文夫作です。
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