2013年5月7日火曜日

銅像(5):島津忠義


島津忠義公(1840~1897)です。

 島津忠義は島津久光の長男として生まれました。島津家第28代斉彬の遺言により、斉彬の娘と結婚、薩摩藩主となり、祖父の斉興、父の久光の補佐を受けながら、藩政改革と陸海軍の充実に努めました。
 文久2年(1862)の久光の率兵上京、藩政改革、生麦事件、薩英戦争には藩をあげて行動するとともに、薩英戦争後イギリスとの関係改善を図り、五代友厚などの使節団や留学生を派遣して人材育成を図るとともに、日本最初の紡績工場をつくるなど、集成館事業の充実に努めました。

 明治維新後は、進んで版籍奉還を行い、鹿児島藩の知事、後に貴族院議員となりました。

 忠義は律儀な性格で、父・久光の遺言で死ぬまでマゲを切らなかったといわれています。

 この像は久光と同じ探勝園にあり、斉彬・久光同様に朝倉文夫の作です。

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