2013年4月29日月曜日

歴史散歩(19):薩英戦争本陣跡


文久2年(1862)8月におこった生麦事件は、その犯人の処分や賠償金の処理問題で交渉が難航し、とうとう翌年7月イギリス艦隊が来襲して戦争になってしまいました。当時はここは万福山千眼寺であったが、鶴丸城が海岸に近く敵弾の飛来するおそれがあったので、久光、忠義(29代藩主)父子はこの寺に本陣をおいて総指揮をとりました。その後千眼寺は廃仏毀釈によって壊されてしまいました。

The Remains of the Anglo-Satsuma War Headquarters

  The Anglo-Satsuma war began in july of 1863 as a result of the breakdown of negotiations concerning the punishment of the criminals and indemnity payments of be made because of the Namamui incident in Bunkyu 2 (1862).

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