斉彬が藩主になると、1851年に紅硝子工場を建て、紅硝子の研究に着手し、翌年紅硝子の政策に成功しました。これは日本で初めてだといわれています。
紅硝子工場は1856年磯の集成館に移され、薩摩切子などが製造されました。
島津斉彬は1851年、紅硝子工場の近くに製錬所を建てました。製錬所の碑には「島津斉彬公はこの地に製錬所を創設し、理化学を応用した研究をなさしめました。これは日本における工業試験場の先駆けです。その研究の主なものは、綿火薬、蒸気機関、反射炉、硫酸、硝酸、綿布漂白、洋酒、氷砂糖、パンなどである」と書かれています。
製錬所で成功した研究は磯の集成館に移して製造されました。
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