2013年4月16日火曜日

歴史散歩(9):製錬所跡と紅ガラス製造所跡






騎射場は島津家に伝わる犬追物、流鏑馬などの練習場のあったところで、第27代藩主斉興は1846年この地に製薬局を建てました。薩摩藩では1659年に山川薬園、1687年に佐多薬園、1779年に吉野薬園をつくり、薬をつくる研究を進めていました。そのために薬品をいれる容器が必要になり、江戸の硝子工四本亀次郎を招きガラス器具の製造を始めました。
 斉彬が藩主になると、1851年に紅硝子工場を建て、紅硝子の研究に着手し、翌年紅硝子の政策に成功しました。これは日本で初めてだといわれています。
 紅硝子工場は1856年磯の集成館に移され、薩摩切子などが製造されました。




島津斉彬は1851年、紅硝子工場の近くに製錬所を建てました。製錬所の碑には「島津斉彬公はこの地に製錬所を創設し、理化学を応用した研究をなさしめました。これは日本における工業試験場の先駆けです。その研究の主なものは、綿火薬、蒸気機関、反射炉、硫酸、硝酸、綿布漂白、洋酒、氷砂糖、パンなどである」と書かれています。
製錬所で成功した研究は磯の集成館に移して製造されました。

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