2013年4月14日日曜日

歴史散歩(2):桂庵玄樹の墓

伊敷町伊敷仮屋バス停から桂庵小路を入ると仮屋桂庵公園があります。公園の中に日本で初めて朱子学を正しい儒学として普及させた桂庵玄樹の墓があります。


桂庵玄樹は、1427年(応永34年)、周防(山口県)に生まれ、9歳の時京都に行き臨済宗の南禅寺で修行を始めました。その後、遣明使として明に渡り、7年間朱子学を学びました。
1473年(文明5年)に帰国しましたが、当時は応仁の乱が続き、今日とも荒れ果てていたので、今日に帰らず、石見、豊後、肥後などを転々とし、朱子学を教えました。
1478年(文明10年)島津家第11代忠昌の招きで鹿児島に来た桂庵は島津氏やその家来、僧たちに朱子学や禅学を教えました。


薩摩では、桂庵の教えを受け多くの優れた門人が育ち、後には薩南学派という朱子学の学派もでき、多くの人が朱子学を学びました。
江戸時代初期には桂庵の教えは島津家の政治・外交の顧問であった大龍寺の住職文之和尚によって広められました。
桂庵は、1481年に「大学章句」という朱子学の本を日本で最初に出版し、薩摩の文化の向上につくしました。

桂庵玄樹の墓は、昭和11年史跡として、国の文化財に指定されました。

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