2013年4月30日火曜日

歴史散歩(22):薩藩水軍軍港跡


関ヶ原の戦いに敗れ、北進の望みを絶たれた島津氏は、対明貿易経営に意欲をみせ、樺山久高を総大将、平田増宗を副将として、慶長14年(1609)100隻、兵3000人の大部隊で琉球を攻め、琉球国の持つ対明貿易の権益を奪いました。

その時薩摩水軍の軍港であったのが春日神社あたりです。遠征軍は現在の稲荷川河口付近の戸柱橋付近から乗船したと思われます。当時このあたりは海で、戦国時代に稲荷川河口に港が築かれたことから、相当大きな港町があったようです。しかし、洪水によって川底に大量の土砂が堆積し、大型の船の出入りが不自由になったため、港は甲突川河口に移されました。


現在の戸柱橋です。稲荷川に架かり、国道10号線が走っています。

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